Blog 照る日曇る日に投稿しました。
追加として、彼の探偵小説観がよく表現されていると思われるので、坂口安吾が「不連続殺人事件」の「犯人さがし懸賞」正解者選後感想で述べているところを引用します。
人間性を不当に不合理に歪めて、有りうべからざる行動を実在させそれを、合理的に解けと云ったって無理である。私は、全世界の探偵小説の九十九パーセント、否、九十九、九九パーセントぐらいが不合理なものだと思っている。
犯人の間違った答案(「読者への挑戦」への解答)の多くは、消去法を用いられているが、なるほど探偵小説は、現実の犯罪と違って、登場人物が三十人なら、その三十人の仲に必ず犯人がいるのであるから、消去法というものが、一応最も便利で、有効に思われる。ところが、消去法による限り、必ず犯人は当たらない。
いわば探偵小説のトリックとは、消去法を相手にして、それによる限り必ず失敗するようにつくられたものである。消去法によると、まっさきに犯人でなくなってしまうような完全なアリバイを持つ人物が、実は犯人であるという、そこにトリックがあり、探偵小説の妙味があるのである。然し、従来の探偵小説の多くは、このトリックにムリをして、そこで人間性をゆがめ、不合理な行為や心理をムリヤリにデッチあげて、又、作者も読者も、探偵小説のトリックはそういうものだと鵜呑 みにして疑っていないのだ。
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私が犯罪心理の合理性というのは、こうした人間性の正確なデッサンによるものをいうのであって、探偵小説を愛読して、人間性、合理性という点で裏切られるたびに、ひとつ自分で、ケンランたる大殺人事件を展開させ、犯人の推定をフンキュウさせながら、人間的に完全な合理的な探偵小説を書いてみたいと思うようになった。
なお、「談話室・坂口安吾をめぐって」に彼の「探偵小説」リストがあります。
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