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2006年2月アーカイブ

 この本は、1999年に行われた河上肇生誕 120周年行事での講演や対談をまとめたものである。一海先生の中国の詩人陸放翁に親しんだ事と生涯も持ち続けた「河上精神」との関係に触れた序論からはじまり、加藤先生の「手作りの思想」だったが故に、確固たる価する思想となったこと、井上先生の河上夫人の秀さんや娘の芳子さんと、「新生」のモデルとされる島崎藤村の姪ご、こま子さんとの接点など、青空文庫的話題に事欠かない内容である。(こま子さんと林芙美子の関係は、「太鼓たたいて笛ふいて」のテーマの一つとなっている。)
 と、話を、河上肇の青空作品、「放翁鑑賞」か、作業中の「貧乏物語」に持っていきたいところだが、彼の漢詩を紹介した前回のいささか重大な補足である。作品紹介は、後日に期したい。
 戦時中の、1943年から1945年にかけて、沖縄の民俗学者伊波普猷宛てに 18通の葉書や手紙を送っており、その漢詩は、その一通の末尾に書かれたものだそうだ。伊波普猷略年譜によると、助教授時代の河上肇が来沖して以来、親交があった。終戦後、一年ないし二年で、二人は相次いで世を去るが、戦争中の沖縄の惨状を聞いて、河上肇の心中はいかばかりのものであったろう。おりしも、ある平和メーリングリストから、辺野古海上基地建設現場での屈辱的な事件を知らせるメールが届いた。こうした野蛮な「占領政策」が戦後六十年たっても、今なお続いているとしたら、お二人が在世なら安閑としていられないだろう。伊波普猷の「沖縄の心根」や「河上精神」を受け継いで、人間じんかん(この世)の闇にしっかりと立ち向かおうではないか!と思った次第である。

 みんなの談輪室で、laihama さんが、一海知義氏の「論語語論」をご紹介されてから、最近は、氏の著作と因縁深くなった。今回とりあげるのは、たしか、わが青春時代に読んだことがある「言葉の蘊蓄本」である。この種のものは今でもけっこう流行しているかもしれないが、先生文章は、一衣帯水の国、中国文化というきちんとバックボーンがあるだけに、「苛政は虎よりも猛なり」をひた走り、最近は社会的な不祥事の続発に周章狼狽している、どこかの首相の「引用」や、その先輩たちの付け焼刃的な「漢詩」と違い、奥行きがあり、今でもすこぶる勉強になる。今後は、ちょっと発憤して、素人なりに、漢文をはじめとする中国文学に親しみたいと思っている。みなさんの話題提供も切に希望する。

 蛇足ながら、この本に引用されていた、経済学者、河上肇の漢詩を載せておく。


人間じんかん第一自由の身
これれ早醒第一の人
かまどを吹いて四更しこう薄粥はくしゆく
虫を聴いて灯下清辰せいしんわた

【注】リンクしていない太字の部分は、この本で取り上げられた漢語です。この投稿、十分に推敲できていない点をお詫びいたします(__)

 100円でゲット。

 本場中国でも女流詩人の数は少ないが、唐の時代の魚玄機(森鴎外に、「魚玄機」という作品がある)をはじめとして名を知られている例は、いくばくかはある。
 かたや本邦では、中里介山の「大菩薩峠 白雲の巻」に、「婦人にして漢詩を作るということは、極めて珍しいことに属している。文鳳ぶんぽう細香さいこう采蘋さいひん紅蘭こうらん――等、数えきたってみると古来、日本の国では五本の指を折るほども無いらしい。」とある。うち、文鳳は不明だが、細香、采蘋、紅蘭は、いずれも江戸後期の女流詩人である。どうも、その時代には、女性をも漢詩に向わせるような気運が熟していたようだ。細香は、本名、江馬多保(1787-1861)、美濃大垣藩々医江馬蘭斎の娘であるが、いわずとしれた頼山陽の愛人であった女性である。(森鴎外の「伊沢蘭軒」は、山陽の放蕩と脱藩の末の幽閉のことが冒頭の書き出しである。)