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2006年6月アーカイブ



Blog 照る日曇る日に投稿しました。

 多田富雄氏は、ご自身でも新作能の脚本を手がけられるなど文学的センスがあるようです。そういえば、親類縁者に詩人が二人いることも所収のエッセイで触れられていました。否定はされていますが、こうしたセンスは DNA レベルで決定されるとふと感じてしまいます。その一人は、大叔父の多田不二(1893〜1968)、NHK の放送畑を歩んできたらしく、「終戦の玉音放送」のレコードを持って、多田氏の田舎宅に持ってきたそうです。もう一人は、ペンネームが志野冬彦という従兄弟。特攻隊に志願したが、病を得て、終戦の翌年に肺結核で亡くなったと書いています。

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 有島武郎星座」の主人公、清逸は、農学が専攻ながら、江戸時代の儒者、新井白石(1657〜1725)の「折たく柴の記」についての論文を書こうとしています。


...清逸は白石は徳川時代における傑出けっしゅつした哲学者であり、また人間であると思った。儒学じゅがく最盛期さいせいき荻生徂徠おぎゅうそらいみだりに外来の思想を生嚼なまかじりして、それを自己という人間にまで還元することなく、思いあがった態度で吹聴ふいちょうしているのに比べると、白石の思想は一見平凡にも単調にも思えるけれども、自分の面目めんもくと生活とから生れでていないものは一つもなく、しかもその範囲はんいにおいては、すべての人がかりそめに考えるような平凡な思想家ではけっしてなかったということを証明したかったのだ。徂徠が野にいたのも、白石が官儒として立ったのも、たんなる表面観察では誤りにおちいりやすいことを論定したかった。この事業は清逸にとってはたんなる遊戯ではなかった。彼はこの論文において彼自身を主張しようとするのだ。...

 「大正デモクラシー」の時代になってはじめて、こんな白石像が出てきたのでしょう。後の羽仁五郎や加藤周一につながっていく白石評価だと思います。

 白石の活躍したのは、六代将軍家宣、七代将軍家継の時代、八代将軍吉宗の世には、側用人間部詮房とともに、政治の表舞台から退ぞけられ、不遇の晩年を送ったとされますが、その時期に、この「折たく柴の記」はじめ多くの著作を遺しています。考えようによっては、後世にとっても幸運なことでしたし、白石自身は、またとない、心置きなく書くことに没頭できる、そんな境遇を喜んでいたのかもしれません。亡くなったのは、 281年前のちょうど今日、1725年6月29日(旧暦では、享保10年5月19日)です。

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ジギタリス
 何と二日続けての登場である。余の出番が多いのは、執着至極な事である。かどうかは別にして...
 閑話休題、昨年秋から、鉢植えのジギタリスを育て始めた。春頃より茎がぐんぐん伸びて、五月には独特の袋状の花を着けるようになってきた。宿根草だから、来年の開花を期待して花も盛りを過ぎた頃合に、茎を切ってみたところ、残った茎の部分にも花を着けそうな勢いである。知る人ぞ知る、ジギタリスは昔から強心剤として使われてきたのだから、威勢が良いのかも知れぬ。たしか、どこかの国の循環器学会のシンボルマークとなっていたと記憶するが、どうだったか...ジギタリスは、欧州原産とあるから、本邦へは維新以後に入ってきたのであろう。乾燥した葉を強心剤として用いる。薬になると、強心配糖体ジギタリスと云う。この薬剤、著効する投与量と中毒量の差が極めて少なく慎重な使用を要する。従って、野生や栽培しているジギタリスの生の葉を食すると重大な事態を引き起こす事に成り兼ねないので、念のため注意を喚起しておく。医療で処方する時も、現代医学では、ちゃんと血中濃度を看視して処方されていると聞く。

 そこで、青空文庫にて、「ジギタリス」という語彙を含んだ作品を検索してみた。其の中から..

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 久しぶりの余の出番であるので、ネタに少々苦労したが、本日、照る日曇る日というブログでゼファー生なる同業者とおぼしき人物の投稿を見付けた。漱石君の事は、余の仮初かりそめの姿である森鴎外の「青年」などを通じて、よく承知している。五十を待たず、潰瘍ごとき宿痾の病いに仆れたは、日本文学の大きな損失なりと思うて居る。そうか、胃潰瘍はピロリ菌という黴菌に拠るものだったのか。余は、嘗て脚気黴菌説を採って少しくその後の治療の方向を誤ったことがあるので、複雑なる心情を抱く気もせぬではないが、今の身の如く、時空を超える存在ならば、「修善寺の大患」に何はともあれ、駆けつけ、「ピロリ菌除菌療法」なる最新治療を施したものを...
 それにしても、ピロリ菌を発見したるは、一大快挙である。PHペーハー が、2 前後という酸性度が相当にきつい胃の中で黴菌が生息するとは、誰もよもや思いつくまい。科学の発見は、一旦常識を覆す所にあることは、いついかなる時にも忘れてはならぬと思う。

 なお、「修善寺の大患」の事を夏目漱石君は、「思い出す事など」に澄んだ筆致で書かれて居る。章立ての合間の漢詩が実に素晴らしい。たとえば...

 おっと、ここで急患で呼ばれて居るようだ。紹介は又の機会に取って置く。ひょっとしたら、laihama さんあたりが、解説してくれるかも(^_-)

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ゲット価:100円

小熊秀雄全集-01 短歌集」に付属する小熊秀雄略年譜によると、湯浅芳子(ロシア文学者、宮本百合子とモスクワに留学、「道標」に詳しく載る)と一緒にプーシキンの詩を訳したかったそうです。彼の感覚でのプーシキンの詩を読みたかったですね。

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ゲット価:150円河上肇が獄中でその漢詩と親しんだ陸游(1125-1209)には、二つの挫折の経験があったと、一海知義氏は指摘します。一つは、時の権力者の息子と科挙の試験の合否を争い、敗れた事。その事が後の彼の政治的立場をきわめて困難なものにしましたが、志の高い彼の詩の源になったのでしょう。もう一つは、最初の結婚した妻を心ならずも離縁した事です。実母が嫁をこころよく思わなかったとされています。封建的な当時の中国社会では、親の命令は絶対的なものだったのでしょう。別れて後、ある庭園で、陸游はその人と再会します。その時は、もうお互いに再婚した身、彼女は人を介して陸游に酒肴を届け、彼は建物の壁に一編の詩をしたためました。その後まもなく彼女は他界するので、この時が今生の別れとなったのです。陸游、三十一才の春の事でした。その後も、このエピソードが忘れられず、老年になっても幾首かの詩を書いています。紹介する「沈園」という絶句もその一つです。河上肇は「陸放翁詩鑑賞」という注釈を遺していますが、そのうち、青空文庫には、「放翁鑑賞 06 その六 ――放翁絶句十三首和訳(つけたり、雑詩七首)――」「放翁鑑賞 07 その七 ――放翁詩話三十章――」が公開されています。うち、「その六」では、放翁などの絶句に彼の和訳をつけていますので、それに見習って、拙訳など試してみましょう(^^ゞ。


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 坂口安吾が、推理小説ファンであり、それが昂じて、推理小説に手を染めるようになったことは、以前、「復員殺人事件」を扱った輪ログに、書きました。一昨日、公開された「推理小説論」で、彼は、探偵小説ではなく、推理小説にかける思いを縦横に語っています。

が、奈何せん!古今の名作を含むネタばれが続出していますので、推理小説ファンの方は、読まないほうが…(^^ゞ

 ここに、推理小説の解説に時にある、「此れ以降は、○○作「××」のトリックをばらす記述がありますので、ご注意ください」といった注意を掲げようと思いましたが、もう作っているブロガーおられました。

坂口安吾「推理小説論」についての覚書

 具体的には、上記ブログを見てもらうにして、注意書きの追加です。

    本作品には、以下の作家に対する「けなし」が含まれていますので、せっかく「殺人鬼」や「黒死館殺人事件」などおおもの探偵小説を堪能したい方は読まないでください。
  • 小栗虫太郎に対して
    (ヴァン・ダイン)のマイナスのところを主として模倣して、重さ退屈さに輪をかけてしまったのが小栗虫太郎であり
    小栗虫太郎などはヴァン・ダインの一番悪い部分の模倣に専一であって
  • 浜尾四郎甲賀三郎に対して
    浜尾四郎や甲賀三郎の作品も、謎解きをゲームとして争う場合の推理やトリックの確実さがない
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 第二巻、第三巻とともに、各 980円でゲット。

 北村透谷は、島崎藤村の「春」で名前くらいは知っていましたが、青空文庫でその作品にはじめて出会った著作家の一人です。自由民権運動での知人の入獄と明治憲法発布時の大赦を背景にした「楚囚之詩」が青空文庫の早い時期から公開されていました。そのため、テキストファイルや HTML がきちんとしたルビ対応になっていませんので、みんなのテキストで、現在の基準に直して掲載しておきます。これで AZUR などのルビ対応のテキストビュアで読むことができます。例によって、プリント用ページのほうが、読みやすいでしょう。同時に、みんなのファイルにはテキストファイルが置いてあります。
 勝本清一郎氏が、編集・校訂に当たられたこの全集では、氏の方針で、ここらへんが賛否両論がでる所ですが、ルビや送り仮名を相当踏み込んで改めています。逆に「原本に忠実」な点として、「白ゴマ」とでも言うか「、」が「白中抜き」になっている句読点です。英語などでカンマとペリオドの中間的な休止である時に使用する、「;」(セミコロン)を意味する「白ゴマ点」が1880年代後半から、1890年代はじめにかけてけっこう使われ、そのことで透谷作品の書かれた日付を推測できると、全集月報で勝本氏は書いています。
 青空文庫公開分の底本の岩波文庫版()には「白ゴマ点」は使われていないらしく、すべて「、」ですが、今回は全集版で「白ゴマ」を復活しておきました。(工作員作業マニュアルには、「白ゴマ句読点」のことは触れられていませんでした。)

【参考】・wikipediaアイコン北村透谷」(写真は、同サイトから)

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