Top | About | Metablog | Wiki

多田富雄:独酌余滴

| | コメント(0) | トラックバック(1)



Blog 照る日曇る日に投稿しました。

 多田富雄氏は、ご自身でも新作能の脚本を手がけられるなど文学的センスがあるようです。そういえば、親類縁者に詩人が二人いることも所収のエッセイで触れられていました。否定はされていますが、こうしたセンスは DNA レベルで決定されるとふと感じてしまいます。その一人は、大叔父の多田不二(1893〜1968)、NHK の放送畑を歩んできたらしく、「終戦の玉音放送」のレコードを持って、多田氏の田舎宅に持ってきたそうです。もう一人は、ペンネームが志野冬彦という従兄弟。特攻隊に志願したが、病を得て、終戦の翌年に肺結核で亡くなったと書いています。

テクノラティタグ→|

 多田不二が、大正十二年に、時の為政者の侵略体質を告発した詩から...


「世界の一点に立って」より

どこにやさしい人類愛はひそんで居るのか
どこにうつくしい眠りは私たちを待ってゐるのか
人類の心に真の平和の充される日はいつなのか
人は何故集団の利欲に支配されなければならないのか
おお まだまだ血が流れてゐる 恐ろしい惨禍の血潮が

私はいま世界の一点に立って
砥がれた多くの爪が相争ふさまを目撃する
人は不自然の死すら賛美する
不名誉な世界人はかれらの正義をどう夢みてゐるのか
愛国心を殺戮の事実によって何故証明しようとするのか
国家的虚栄心の奴隷に満足する人々よ
私は人間の採集の平和は決してあなた方の考へるやうな
仮想された勝利ではあるまいと思ふ


 志野冬彦が、特攻訓練中の昭和二十年四月に綴った詩...

発見

雨が降り
風が吹く
私はそんな生活に
なにを見出して来たか

陽は再び雨雲を破ることもないだらう
野に生ふ千草は昔の夢を語りはしまい
地球は冷たく
火も消え果てて凍ってしまったから

私はただ
自分の生命いのち
身体ごと
大地の冷たさに抱かれるのを静かに待たう

亜熱を病む
無残な私の眼だけが
一切の滅びた後も
虚妄の大気を冴いてなにものかを求めるだらう

陰鬱な天気に
桜の花も散ってしまった
それはふさはしいことだ
ほろびゆく種族の最後の日に

トラックバック(1)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 多田富雄:独酌余滴

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://eskimo.nishinari.coop/mt4/mt-tb.cgi/291

北海道札幌から始まり全道の観光地、観光名所、市町村の情報紹介 - 北海道の大沼公園は 意外と函館に近い観光名所です (2007年7月10日 00:45)

札幌から函館まで、行くと函館の入り口というか、函館の少し手前に大沼公園があります。この大沼公園は、公園内に大沼と小沼があり、駒ケ岳の麓みたいなところにあり... 続きを読む

コメントする


画像の中に見える文字を入力してください。

2008年6月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
  • 購読する
Powered by Movable Type 4.11