6月24日付けの大阪民主新報の「大阪文壇事件簿」は、「与謝野鉄幹」の最終回、通勤路という意味では地元なので、住吉大社などで、鉄幹と晶子が詠んだ歌を少々…
荷葉なかば誰にゆるすの上の御句ぞ御袖片取るわかき師の君
月の夜の蓮はおぼしま君うつくしうら葉の御歌わすれはせずよ
たけの髪をとめ二人に月うつき今宵しら蓮色まどはずや
一首と二首は、鉄幹が住吉神社の池に生える蓮の葉の裏に和歌の下の句を書き、同行の晶子と山川登美子のどちらが、上の句をつけるか指名しようとしている場面だそうです。葉の裏に歌を書くことは、宋の詩人に出てきたように記憶しています。何か中国の伝統だったのでしょうか?漢詩の「素養」のある鉄幹は、そんなことを思い浮かべたのかもしれませんね。大阪を一旦立ち去った鉄幹は、再び堺の地で(厳密に言うと高師浜だから、高石市になります。)晶子と会います。
松かげにまたも相見る君とわれゑにしの神をにくしとおぼすな 晶子
荒波のいはほにたちて君ひとり泣くよとみしはよべの夢なり
はま寺の松の上葉のしろくなり枯れなんときぞ君も死なんとき
よそながら恋ひをるわれによそながら人も恋ひせば見てなぐさまむ 鉄幹
と、まあここまで二人の和歌を並べてみると、「どうでもいいから、勝手にして!」と思わないわけではありません。この甘さとナルシシズムこそ、明星派流ですかね。
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