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2007年8月アーカイブ

モスラの飛んだ日...

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 小野俊太郎「モスラの精神史」 ゲット価:798円

 昨日の脱線 に引き続いて、その上もうひとつ脱線です。母が映画好きだったこともあり、子ども時代には、けっこうたくさんの映画に連れて行ってもらいました。でもたいていは、子ども向き映画というわけではなく、むしろ母の楽しみに付き合わされたようです。「風立ちぬ」という「文芸映画」のラストシーンでヒーローとヒロインが再会を果たすシーンでは、思わず大きな声での「よかったな!」という感想に周囲の客席がほくそ笑んだらしく、今でも母親の思い出話になっています。あの頃、見た映画は遠い記憶に霞んでいますが、ふと一場面が断片として思い浮かぶことがあります。「モスラ」という映画は、かなり年長になってからの1961年7月の封切りだそうですが、モスラが羽化して、空へ飛び立つシーンは微かに覚えています。それよりも、ザ・ピーナッツの「モスラの歌」が学校で流行り、級友たちと、「モスラや、モスラや」と歌ったことの方が、反復する記憶なので、より鮮明なのでしょう。本の紹介の詳細は避けますが、一本の映画作りのために様々な分野の人材が、各々のアイデアを持ち寄った、その作る側のモスラ誕生への思い入れがよく分かりました。同時に、観る側にとっても、飛び立つモスラへは、戦後の厳しい時代を生きてきた自らの人生を重ね合わせる何か――例えば、核兵器への恐怖や嫌悪感、YS-11 国産旅客機の就航、まだ見果てぬ「南方支配の夢」などでしょうか――があったればこそ、あんなにヒットしたのでしょう。何よりも興味深かった事は、「モスラ」の原作は、福永武彦、堀田善衛、それに、わが「木村蒹葭堂のサロン」の著者、中村真一郎とという「純文学」畑の三人の合作だったことです。遊び心も充分にあった彼らの意図が、映画では、そのままの形では実現しなかったけれど、それでも「主張や価値観の異なる担い手が対話をし、共同戦線を張ることさえでき」、「人的つながりに由来する豊穣な生産力である」、映画芸術がそんなパワーを持っていた時代があったのですね。「モスラ」の繭は、そうした彼らの思いを集めて編み上げた「夢の繭」だったのかもしれません。

映画「モスラ」予告編が、Youtubeにありますので、ご覧頂くのも一興になるでしょう。 →現在はなくなっている。

 辻原登「花はさくら木」 ゲット価:700円

 芥川龍之介の「木村葭堂」の話題を少し脱線させておきます。木村蒹葭堂サロンができた頃は、田沼意次の台頭期と重なります。辻原登「花はさくら木」が、新聞連載中にたしか田沼意次と木村蒹葭堂の名前がよぎった気がして、今回読んでみました。近頃は、意次はむしろ開明的な政治家であるとの評価の方が有力になっているのでしょう、この小説でも、その線での田沼像です。その「重商主義」的な政策から、大阪の大商人鴻池と手を結ぼうとします。その権謀術数の中、敵味方相乱れて、公家皇室はじめ、朝鮮使節など多彩な人物が登場します。木村蒹葭堂も、その一人ですが、むしろ、上田秋成や蕪村、俳人の炭太祇などサロンの周辺にいた文人が、それなりに活躍します。木村蒹葭堂は、点景人物の一人といった感じで、ちょっと残念。木村蒹葭堂は、田沼失脚後もサロンとして賑わいましたが、松平定信の「寛政の改革」のあおりで、弾圧を受けますが、また別の形で、商家を再興されるあたり、大阪商人のしたたかさがバックボーンに持っていたようです。しかし、没後はその膨大なコレクションは、(芥川の冗談で言えば「クレオパトラの金髪も含めて」)幕府に没収されてはしまうのですが…