昨日の脱線 に引き続いて、その上もうひとつ脱線です。母が映画好きだったこともあり、子ども時代には、けっこうたくさんの映画に連れて行ってもらいました。でもたいていは、子ども向き映画というわけではなく、むしろ母の楽しみに付き合わされたようです。「風立ちぬ」という「文芸映画」のラストシーンでヒーローとヒロインが再会を果たすシーンでは、思わず大きな声での「よかったな!」という感想に周囲の客席がほくそ笑んだらしく、今でも母親の思い出話になっています。あの頃、見た映画は遠い記憶に霞んでいますが、ふと一場面が断片として思い浮かぶことがあります。「モスラ」という映画は、かなり年長になってからの1961年7月の封切りだそうですが、モスラが羽化して、空へ飛び立つシーンは微かに覚えています。それよりも、ザ・ピーナッツの「モスラの歌」が学校で流行り、級友たちと、「モスラや、モスラや」と歌ったことの方が、反復する記憶なので、より鮮明なのでしょう。本の紹介の詳細は避けますが、一本の映画作りのために様々な分野の人材が、各々のアイデアを持ち寄った、その作る側のモスラ誕生への思い入れがよく分かりました。同時に、観る側にとっても、飛び立つモスラへは、戦後の厳しい時代を生きてきた自らの人生を重ね合わせる何か――例えば、核兵器への恐怖や嫌悪感、YS-11 国産旅客機の就航、まだ見果てぬ「南方支配の夢」などでしょうか――があったればこそ、あんなにヒットしたのでしょう。何よりも興味深かった事は、「モスラ」の原作は、福永武彦、堀田善衛、それに、わが「木村蒹葭堂のサロン」の著者、中村真一郎とという「純文学」畑の三人の合作だったことです。遊び心も充分にあった彼らの意図が、映画では、そのままの形では実現しなかったけれど、それでも「主張や価値観の異なる担い手が対話をし、共同戦線を張ることさえでき」、「人的つながりに由来する豊穣な生産力である」、映画芸術がそんなパワーを持っていた時代があったのですね。「モスラ」の繭は、そうした彼らの思いを集めて編み上げた「夢の繭」だったのかもしれません。
映画「モスラ」予告編が、Youtubeにありますので、ご覧頂くのも一興になるでしょう。 →現在はなくなっている。
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