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詩仙堂と謝霊運

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先日、京都の詩仙堂に立ち寄る機会がありました。花見のシーズンと五月連休のはざまの平日だったので人も少なく、自慢の庭園をゆっくりと見入り、悠久のひとときを過ごしました。(下の写真は、その庭園)詩仙堂とその開設者、石川丈山の事は以前にも別のブログに何回か書きました(加藤周一「三題噺」中薗英助「艶隠者--小説 石川丈山」)が、改めて丈山の詩仙堂に注ぎ込んだ「こだわり」を感じました。その一つの現われは、中国の唐宋を中心とした三十六人の詩人の額が飾られている「詩仙の間」です。(名前の由来の「詩仙の間」は、撮影禁止になっており、その画額をブログなどで紹介されることは少ないですが、丈山自筆の隷書の詩句と狩野探幽筆の肖像画など、なかなかのものです。)その三十六詩仙には、李賀も選ばれていますが、唐宋以前の詩人では、謝霊運があるのが目につきました。ちょうど季節も春、詩仙堂の庭園では、「池の塘に春の草生じ」ています。画額にも、謝霊運の有名な一句を含む詩の後半部分(下記の太字の部分)も端正な隷書で書かれていました。


詩仙堂庭園
池のほとりの樓に登る 謝霊運

(身を守るため)ひそめるみずちは幽なる姿をいろめか
飛ぶおおとりは遠き音を響かす
(私は)そらとどまりて雲の浮かべる(高きに)
川に棲みて淵に沈める(深さ)を
德をみがかんとするも智の拙なるため(進まず)
耕に退かんとするに力はえず
祿にしたがいて窮海いなかのうみかえ
し空林に對す
ねや枕にて節候じせつくら
かかげ開きしばらうかがい臨み
耳を傾けて波瀾を
目を舉げて嶇嶔たかきやまを眺むるのみ
初景はつはるなごりの風をあらた
新陽はこぞふゆを改む
池のつつみに春の草生じ
園の柳に鳴くとりも變わりぬ
(草つむ人の)祁祁おおきにひんの歌の(人を慕う)をいたむ(を知り)
萋萋せいせいたる楚吟に感ず
索居ひとりいは永く久しくなりやす
群を離れて心を處しがた
操を持するはに獨りいにしえのみならんや
うれい無くしるしは今(ここに)在りと

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