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2008年6月アーカイブ

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ノイシュヴァンシュタイン城周囲の風景

(その 4)に引き続いて、ミュンヘンの町の話題を続けます。


鷗外から「既に三十八年の星霜をけみしてゐる」1924(大正 13)年まで、斎藤茂吉が同じミュンヘンで精神医学の勉学に勤しみます。(Wikipedia)その茂吉のドイツ留学時の草々が「滞欧随筆」としてまとめられています。(斎藤茂吉選集第九巻)ミュンヘン滞在中に茂吉は、森鴎外「うたかたの記」の幕開けの舞台、カッフェエ・ミネルワの所在を確かめるべく、ミュンヘンの街を歩き回った事が、中の一編、「カフェ・ミネルワ」に書かれています。(残念ながら、青空文庫作業中、公開を期待します。)滞在中の 9月には、関東大震災の第一報が届いたり、11月には、ヒトラーのミュンヘン一揆に遭遇したり、心ならずも歴史の真只中に身を置いていた事になります。


ここでは、茂吉より遡ること、約十七年、同じくバイエルンの都に留学した、清国末期の政治家、康有為が、滞在中に作った詩が、吉川幸次郎「帰林鳥語」に引かれていましたので、孫引きしておきます。残念ながら当方ミュンヘンは、訪れる機会はないのですが、水の流れのきれいな都市のようですね。一度行ってみたいですね。


免恨ミユンヘン京三詠の一首

白道の光華は免恨ミユンヘンみやこ
樓臺は新しくあざやかに人を照らして明らかなり
萬緑は園を壓して丘壑きゆうがく
六街は水をめぐりて波聲を聽く
自注:歐とアメリカの道路の潔は、ドイツ聯邦の湃認バイエルン國の免恨ミユンヘン京を以て第一と爲す。公園は山に依り、溪流は郡を穿ち、樓閣の明靚めいせいなることも、亦た全歐に冠たる也。一九〇七年、光緒三十三年。

吉川幸次郎訓読

 画像は、ウィキメディア・コモンズから呼び出されたもので、GNU Free Documentation licenseとされています。

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漱石のいくつかの長編小説のうち、なぜか「行人」が気に入っています。話の発端が、当方にもゆかりのある土地ということも一つの要因でしょう。しかし内容的には「こころ」のあの先生の告白より、「行人」の他人―弟や友人―による主人公の描写の方を好むものです。そんな「行人」に、友人 H と主人公須永一郎が、伊豆方面に旅行した時の一節に、H が一郎に、「灯影とうえい無睡むすいを照し、心清しんせい妙香みょうこうを聞く」という古人の一句を語る場面があります。以前読んだ時は、何か禅に関係した言葉かなとやり過ごしていましたが、その出典が分かりました。鈴木虎雄「杜詩(第二冊)」に「大雲寺贊公房」(その三)の冒頭と一節でした。それも「唐詩選」に載るような有名な詩ではなく、安史の乱以前、杜甫の長安時代の比較的マイナーな五言俳律でした。(岩波文庫「行人」の注では、五言律詩とありますが、俳律とすべきでしょう。)以下(その三)全句を引いておきます。


燈影とうえい照してねむり無く
きよくして妙香みょうこうを聞く

夜深くして殿突でんとつごつたり
風動して金鋃きんろうとうたり
天は黑くして春院しゅんいん閉じ
地は清くして暗芳あんぽう
玉繩ぎょくじょうはるか斷絕だんぜつ
鐵鳳てつほうしんとして翱翔こうしょう
ぼんはなたれて時に寺を
かねのこりてなおしょういんたり
明朝みょうちょう沃野よくやらん
塵沙じんさなるを見るに苦しむ
鈴木虎雄訓読

漱石の漢詩への趣味では、「草枕」にある、陶淵明や王維のような東洋的自然を好んだように思いがちですが、杜甫とはちょっと意外でした。もっとも「行人」執筆中の漱石は、病床で杜甫の詩を読んだと仄聞したことがあります。しかも仏教的な心情を盛り込んだ詩だけに、漱石の記憶に強く残ったのかもしれません。


晩年の一連の「無題」七律は、杜甫の影響だったのは確かのようです。芭蕉などとはまた違った、漱石の杜甫受容の形なのかもかもしれませんね。