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こんな本、読みました: 2007年7月アーカイブ

ブログ照る日曇る日に投稿しました。

 芥川龍之介全集 7
 しばらくは、昨日の「河童忌」を受け、芥川龍之介に因む話題を続けます。以前、大阪に関係する文学者を扱った大阪民主新報の連載を何回か紹介しました。芥川で言えば、1918年(大正 7年)に大阪毎日新聞社の社友になってから、大阪と縁ができるようになり、そのせいか大阪が舞台の作品が目立つようになります。「枯野抄」(青空文庫)もそうですが、連載には、他に「仙人」や「」が挙げられていました。「僻見」(青空文庫作業中)中の一篇、「木村葭堂」もその一つです。(「僻見」で取り上げられている人物は、木村葭堂の他に、斎藤茂吉、岩見重太郎、大久保湖州というなんともユニークな人選です。茂吉以外は、ほぼ初対面の人物です。強いて言えば、加藤周一さんの「三題噺」に趣向が似てなくはないと思いました。)京都の美術館の一室で、芥川は、木村葭堂の画に魅せられるところから話は始まります。体調の故か、その日は富岡鉄斎や浦上玉堂には、見向きもせずに、「目の前へ奇蹟よりも卒然と現れた」「小さい紙本しほん山水さんすい」に引き付けられたとありますから、感動の程度が分かります。

以下、木村葭堂の紹介は、主に芥川その人をして語ってもらいます。実にウィットに富み、「人懐っこい」文章ですので…。なお、部分的には、この一文に想を得て、主としては、「頼山陽とその時代」「蠣崎波響の生涯」に連なる江戸文人の世界として、中村真一郎さんは「木村蒹葭堂のサロン」を絶筆として遺しました。木村葭堂の画や肖像も含めて、その詳細な書評が、「松岡正剛の千夜千冊」にあります。後日、松岡さんとは違った切り口で紹介する機会があるかも知れません。また、Wikipediaに掲載する「山水図」が芥川が感動した画でしょう。同じく、続きに掲げておきます。

 杜牧詩選
 増補 春夫詩鈔  ゲット価:100円
 改めて杜牧の一番の長編詩「杜秋娘詩」を読みました。以前あまり感じませんでしたが、少なくとも前半は彼の女性に対するそれなりの優しさが伝わってきます。「十年一たび覚む 揚州の夢、あまし得たり 青楼 薄倖の名」と、遊郭にプレーボーイの浮名を流した杜牧の事ゆえ、女性の身の上話に親身に耳を傾けたのかもしれませんね。杜秋娘は、初唐の時代の女性、妾に入った李錡という大官が反乱の罪で滅ぼされた結果、朝廷に召されて、時の帝憲宗に寵愛されました。その後、憲宗の孫、漳王の乳母になりましたが、漳王も政争の犠牲になり、廃せられ、故郷、揚子江領域の京口(潤州)に再び零落した姿で戻された、その晩年の彼女を杜牧は見て詩を作ったとされています(佐藤春夫「車塵集」の詩人略伝による、この略伝は奥野信太郎によるものかもしれない)が、杜秋娘は、漳王の乱以前に故郷に帰ってきており、史実とは少し違うようです。いずれにしても、世の移り変わり、栄耀栄華とその没落には、自らの身に照らして、杜牧には心動かされたのでしょう。

  杜秋娘詩(一部)
京江 水は清く滑らかに
女を生めば 白きこと脂の如し
其の間 杜秋なる者
朱粉の施を労せず
老濞 山に即きて鋳
後庭 千の双眉あり
秋は玉斝を持って酔い
与に唄う 金縷の衣
濞 既に白首にして叛し
秋も亦た 紅涙多し

四朝三十載
夢に似て復た非なるかと疑う
潼関 旧吏を識るも
吏髪 已に糸の如し
却び喚ぶ 呉江の渡し
舟人 那ぞ知るを得ん
帰り来たれば 四隣改まり
茂苑は 草菲菲たり
清血 灑げども尽きず
天を仰ぐも 誰に問うを知らんや
寒衣 一疋の素
夜 隣人の機を借る

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